
東日本大震災発生より時間が過ぎ、
二次災害等の広がりをTV等で見るにつけ
改めて、大変な地震だったと実感しています。
当ブログより、2つの情報リンクを貼らせていただきます。
NHKニュース ⇒ http://www3.nhk.or.jp/news/
Yahoo!災害情報 ⇒ http://rescue.yahoo.co.jp/
どうか被害が最小限にすみ、なるべく死傷者が少なくてすみますように!
☆参考TV番組・NHKスペシャル 午後9時~9時49分
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~1_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=PHeq8TfSRBM
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~2_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=8hXmoNuJHKs&feature=related
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~3_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=Fgx1mcUgHnA&feature=related
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~4_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=BiFTMaApEpw&feature=related
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~5_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=ZK7T6BDiB1c&feature=related
チェルノブイリの事故での人体への影響は、短期的に見た場合、
物凄い大人数とはなりませんでした。
でも、長期間被ばくした人達からは、染色体の異常が相当数見つかり、
先天的な病気を持って生まれてくる子どもが増えています。
そして15~20年後、もう原発の事故すらも忘れかけていたその頃に、
白血病や甲状腺をはじめとした癌を急に発症する人が増えている、
という厳しい事実もあります。
が、なるべく因果関係を否定し続けるIAEA・・・。
長期被ばくとして放射線を浴び続けると、こういうことになる可能性が
少なからずあるかもしれない、という現実があります。
*************************************************************
1986年4月26日未明
旧ソ連のウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発。
屋根が吹き飛ばされ、大量の放射能が漏れ出しました。
放射性物質の除去や、原発をコンクリートで覆う作業などに
60万の人々が動員されました。
十分な防護策も施されず、強い放射線を浴びて働いた人々は
「リクビダートル」(後始末をする人)と呼ばれました。
それから20年。
旧ソ連の各地にくらす「リクビダートル」に今癌が多発しています。
放射性物質が飛び散った汚染地帯は原発から600kmにおよび、
500万人がばくしました。
放射線物質は除去されておらず、今も放射線を出し続けています。
長期に渡って被ばくした人からは染色体の異常が相次いで見つかっています。
先天的な病気を持って生まれてくる子供も増えているため、
被ばくとの関係が研究者によって調べられています。
チェルノブイリの惨事から20年。
汚染された大地で今何が起きているか追いました。
................................................
チェルノブイリ原発から南へ120km、ウクライナの首都キエフ。
ここに旧ソ連政府がリクビダートルとその家族約4万人に提供した
アパートがあります。
アパートの前に人だかりができていました。
リクビダートルの男性の葬儀でした。44歳、心臓病で亡くなりました。
このアパートではここ数年、病気で亡くなる人が急増。
移住してきた4万人は2万人までに減っています。
「人が次々に死んで行きます。私の父もリクビダートルでしたが
45歳で亡くなりました。みんな50歳まで持たないんです。」(女性)
最近、リクビダートルに特に多発しているのが「癌」です。
*リディア ツァリョバさん(65歳・女性)
5年前、腸に癌が見つかり手術を受けましたが、未だに食事ができません。
ツァリョバさんはチェルノブイリでトラックの運転手をしていました。
事故後も4年間原発の中で放射能を測定する仕事に携わりました。
しかし、自分がどれだけ被爆したかは知らされませんでした。
「当時はどれくらい危険なのかよくわかりませんでした。
体に異常も感じられなかったし、後になってこんなに酷いことになるなんて
思いもしなかった。
*ビクトル ガイダクさん(65歳・男性)
おととし胃に癌が見つかりました。胃を全部切除し、
一日の大半をベッドの上で過ごしています。
事故のとき、隣接する原子炉の建設作業に携わっていたガイダクさん。
その後も原発内で仲間のリクビダートルの浴びた放射線量を
測定する仕事を9年間続けました。
ガイダクさんは自分の浴びた放射線量を記録した書類を持っていました。
事故が起きた年の放射線量は50レントゲン。
その後、線量は減りましたが9年間放射線を浴び続けました。
放射線の人体への影響は、広島、長崎での原爆被害者12万人の
追跡調査によって明らかにされてきました。
事故の年にガイダクさんが浴びた50レントゲンは、
広島では爆心から1,5kmでの被爆に相当します。
広島では10~20年を経てに癌になる人が増えました。
事故から18年を経て発症したガイダクさんの癌。広島の被爆者と符号します。
酒も飲まず、タバコも吸わず健康に暮らしてきたガイダクさん。
突然の発病でした。
「私は自分の健康を差し出してしまったんです。健康より大切なもの
なんてないのに。取り返しのつかないことをしてしまった。」
ガイダクさんは『国家の危機を救った』と授与された勲章を
大切に持っています。
--事故の後、ソビエト政府の表彰式に参列するリクビダートルの映像--
「チェルノブイリ原発において事故処理にあたった諸君。
勇気をたたえ表彰します」(政府)
リクビダートルには危険な労働の代償として、住まい、高額な年金、
無料の手厚い医療などが生涯保障されました。
しかし事故から5年後、ソビエト連邦が崩壊。
60万人のリクビダートルは分離独立したウクライナ、ロシア、
ベラルーシなどに分かれて暮らすことになりました。
保障されていた特権はそれぞれの政府に引き継がれましたが、
経済の低迷が続く中、年金は大幅に目減りし、
医療費も事実上自己負担を求められています。
「私はリクビダートルとして国のために一生懸命働いてきた。
国が起こした事故のために。それなのにどうして私たちを
見捨てるのでしょうか。」(ガイダクさん)
事故当日。ガイダクさんが住んでいた町を撮影したの映像。
(ところどころ白くピカピカ光る)白く光るのは放射線によって
フィルムが感光した後です。
原発から4km。ガイダクさんの家族や住民は重大な事故が
起きたことは知らされず、避難命令が出るまでの1日半、
大量の放射線を浴び続けました。
今、リクビダートルだけではなく、その家族にも癌が広がっています。
ガイダクさんの妻リディアさんは、ガイダクさんが胃癌に倒れた直後、
子宮癌を発病しました。しかし、まだ手術を受けられずにいます。
ガイダクさんの手術で貯金を使い果たし入院できません。
「なぜ、これほど救いのない状況にならなければいけないのか、
酷い話です。
私は人生を共にした伴侶を救うことも出来ない男になってしまった。」
(ガイダクさん)
広島で本格的に癌が増えたのは原爆から20年経った後のことです。
リクビダートルとその家族の癌はこれからさらに増える可能性があります。
【チェルノブイリ事故被災者の健康状態】
(ウクライナに住むリクビダートル20万人の健康状態を国の研究機関が
追跡調査した結果報告)
癌による死者の調査は事故の6年後から資金不足のために打ち切られる
2000年まで9年間毎年行われました。
リクビダートルの癌による死亡率は事故後年々上昇し、
2000年には一般の人の3倍に達していたことがわかりました。
この調査を行ったウクライナ放射線医科学研究所の所長
ボロディニール・ベベシュコ博士です。
リクビダートルの癌による死亡率はさらに上昇していると考えられます。
「放射線が他の要因と合わさることで健康に悪影響を与えていることは
紛れもない事実です。人々を癌から守ることを最優先に考えなければいけません。
でないと多くの人が亡くなってしまいます。」(ベベシュコ博士)
しかし去年、チェルノブイリの事故と健康被害との因果関係を
限定的にみる報告書が発表されました。
オーストリア、ウィーンに本部を置くIAEA(国際原子力機関)は
世界各国から100人を超える科学者を招集しチェルノブイリ原発事故の被害を
客観的に評価するための会議を開きました。
この席でエルバラダイ事務局長はこう発言しました。
「死亡者が何万人にも上るという誤った情報が事態をさらに悪化させた。
原子力産業への根深い不信をもたらした。」
欧米では事故後大規模な原発反対運動が起こり、
原発の新規の建設が次々と中止に追い込まれました。
原子力の平和利用を推進するIAEAにとって憂慮する事態が続いていたのです。
2005年9月にマスコミや一般に向けて発表された会議の報告書は被害の規模や、
因果関係の認定について厳しい姿勢を打ち出しました。
「事故の死亡者が何万人、何十万人に上るという主張は誇張である。
多くは放射線の影響というより、貧困や医療の不備によるもので酒の飲みすぎ、
たばこの吸いすぎのほうが問題である。
(リクビダートルの死者については)被爆が原因で死亡した可能性があるのは50人」
(IAEA)
この報告書に対して各国の研究者から反論が相次ぎました。
リクビダートルの健康被害を調査したベベシュコ博士もこのIAEAの会議に
参加しましたが、提出した資料は信頼性に疑問があるとして不採用になりました。
「彼らのやり方には不満があります。チェルノブイリによる健康被害が
過小評価されています。私たちの考えを、改めてIAEAにおくるつもり。
その上で訂正してもらいたいと思う。」(ベベシュコ博士)
チェルノブイリ事故では約40種類の放射性物質が大量に大気中に放出され、
風に乗って広い範囲を汚染しました。
大地にまかれた放射性物質はさまざまな形で人体に取り込まれ、
20年後の今新たな健康被害をもたらしていると考えられる。
ベラルーシのブレスト州。
チェルノブイリ原発から400km離れたこの地で
体調の異変を訴える人が急増しています。
武市宣雄医師は、中年女性の甲状腺癌が目立って増えてきたと実感しています。
3日間で診察した52人のうち7人を甲状腺癌と診断しました。
武市さんが現地で診療を始めたのは事故から5年後、
子供に甲状腺の異常が増えていると聞いたからです。
診察してみると、広島・長崎の被爆者ではほとんど見られなかった
小児甲状腺癌が次々と見つかりました。
事故から10年後には小児甲状腺癌は事故前のおよそ100倍に急増。
IAEAも被爆が原因だと認めました。
事故から20年、小児甲状腺癌はほとんど見られなくなりました。
かわって大人の甲状腺がんが急増しているのです。
子供に甲状腺がんを引き起こしたのは原発から放出された「放射性ヨウ素」です。
原発の北にあるベラルーシは風向きの影響で、国土のほとんど全域が汚染されました。
ヨウ素は数ヶ月に渡って放射線を発し200万人が被爆しました。
さらに大地に撒き散らされた放射性ヨウ素は、農作物や牛乳を通して
人の体の中に取り込まれました。体内から被爆することから「内部被爆」と呼ばれます。
子供の甲状腺は成長に必要なホルモンを出すため大量のヨウ素を吸収しようとします。
甲状腺に蓄積された放射性ヨウ素が癌を発症させたと考えられています。
武市さんは吸収した放射性ヨウ素が少なかった大人も被爆から20年経った
今になって次々と癌を発症したと考えています。
*スベトラーナ・ワディコさん
事故の後、毎日畑に出ていたうえ、畑で取れた作物を食べていた。
甲状腺がんと診断されました。
「私には事故の影響はないと思っていた。その後も健康でしたから。
でもそんなことはなかったんですね。私も犠牲者になってしまった。」
IAEAの報告書は大人の被爆による甲状腺がんの増加を認めていません。
増加は検査技術の影響によって発見が増えているのだとしています。
現地に15年通い続けている武市医師は起きている事実を直視すべきだと考えています。
「『大丈夫ですよ』という報告がでるのはある意味では、
そんなに酷いもんじゃないという安心感を与えるためかもしれませんが、
実際に起こっていることが本当に癌の人が汚染の軽い人より
被爆者に多いのだったら、それを出していただきたい。
(患者を)早く見つけて、早く治療してあげれば
その方たちは長生きできるんです。」(武市医師)
チェルノブイリ原発から放出された40種類の放射性物質の中には
今も放射線を出し続けているものがあります。
汚染が続く地域では低い線量でも長期に渡る被爆が
新たな健康被害を起こしている可能性が指摘されています。
チェルノブイリから130km。ベラルーシ南部のゴメリ州に被爆者の専門病院。
[放射線医学人間環境研究センター]
ここで最近白血病の患者が増えています。2年前、白血病患者のベッドを
事故前の2倍の70床に増やしましたが空きのない状態が続いている。
*レオニード・ブラフコさん(36歳・男性)
昨年5月、「急性白血病」と診断されました。
副作用の強い抗がん剤治療を続けています。
事故のとき16歳だったブラフコさんは重大な事故だという情報がなく
毎日屋外でサッカーをしていました。
事故後も同じ町に住み続け、結婚し、子供ももうけました。
去年突然、体に痣のような物がいくつもあらわれ、高熱に襲われました。
「去年までは普通に生活していました。放射線のことは気にしたことが
ありませんでした。なのに突然病気に襲われ、悪くなる一方です。」
大地を汚染し続けるのはチェルノブイリ原発から放出された
放射性物質のひとつ「セシウム」です。
300年にわたって放射線を出し続けます。
大量のセシウムで汚染された地域は立ち入り禁止区域になっています。
しかしそれ以外の地域は居住が制限されていません。
ブラフコさんが住んでいた「カリンコビッチ」(原発から100km)
もその地域でした。
---ゴメリ州 カリンコビッチ。
ブラフコさんはセシウムによる低線量の被爆が続くこの地で
事故後19年間住み続けました。
今も妻のナターシャさんが息子と2人で暮らしています。
国は今もこの町が汚染されていることを認めていますが、
住民には特に説明されていません。
「(夫の白血病発病は)ただ信じられませんでした。
先生に何かの間違いじゃないか、ありえない!と言ったら、
先生はしばらく黙っていて、そして『私にもわからないことが起きている』
と言ったのです。」(ナターシャ)
ブラフコさんは病状が悪化し、無菌室に移されました。
熱は連日39度を超えていました。
これまでブラフコさんのような低い線量での被爆と癌や白血病との
因果関係は認められてきませんでしたが、最近、低線量でも
長い間被爆すると白血病や癌になるという研究が相次いで発表されています。
その一つ、国連の国際癌研究機関の論文です。
【低線量被爆とがんのリスク】
長期に渡って低線量で被爆している15カ国60万人の原発労働者を調査したところ、
癌や白血病で死亡した1~2%が被爆の可能性があると明らかにされた。
論文を発表した国際癌研究機関エリザベス・カーディス博士は
「たとえ発病するリスクが小さくても、数百万人の住民が今も
長期に渡って被爆している実態は見過ごせないと主張。
「チェルノブイリで被爆した人たちは事故後ずっと放射線を浴び、
それは今も続いています。被爆している人の数も膨大です。
低い線量であっても癌や白血病を引き起こす可能性を無視してはいけない。」
(カーディス博士)
しかしこの主張も2005年9月のIAEAの報告書には盛り込まれなかった。
「この程度の被爆で白血病が増加しているという証拠を掴むのは
到底無理だ」(IAEA報告書)
ベラルーシでは今も多くの国民が汚染地で取れた農作物や家畜を
食べ続けています、、、、。
これまでベラルーシ政府は汚染された土や家屋を除去するなど
多いときには国家予算の2割を費やして対策をしてきた。
ルカシェンコ大統領は汚染地の再利用に乗り出しています。
放射能を恐れ、人がすまなくなったゴメリ州の農地に新しい住宅をたて、
人々に帰ってきて農業をすること呼びかけた。
「事故を忘れるのは良い事です。代わりに私たちが覚えておきますから。
政府は国民に恐怖を植え付けすぎたのです。」(ルカシェンコ大統領)
事故から20年。
低い線量による長期被爆の影響が解明されていない中、
ベラルーシ政府の汚染対策が転換し始めています。
20年に及ぶ低線量長期被爆でもうひとつ懸念されていることがあります。
生まれてくる子供への遺伝的影響です。
広島大学名誉教授の佐藤医師は遺伝的影響の調査のため、
ベラルーシを50回以上訪れています。広島(原爆)では
被爆による遺伝的影響は確認されていないが、
広島とは違う長期に渡る被爆の影響を懸念しています。
「広島のデータは非常に参考になるが、決してオールマイティではない。
被爆の型も様相も違うので広島の考えをこちらに持ち込んで
その通りでないという目で見るのは間違いだと思う。」(佐藤医師)
佐藤医師はベラルーシで40年遺伝の研究をしているゲンナジー・
ラジューク医師と共同調査を行ってきました。
2人はこれまで低線量を被爆し続けている住民の染色体を調べてきました。
異常が見つかった血液の細胞染色体で、一部ちぎれたものが
他の染色体にくっついているのがありました。
染色体の異常が精子や卵子の生殖細胞で起きれば、
子供に先天的な病気が現れる可能性があります。
汚染の続くゴメリと汚染のほとんどないミンスクで、
事故後生まれた子供に染色体の異常がどの程度みつかるか、頻度を比べました。
ゴメリの子供で染色体の異常者数はミンスク子供の染色体異常者数の10倍でした。
先天的な病気を持つ子供の数は事故後、およそ2倍に増えたことがわかりました。
IAEAは事故による遺伝への影響を一貫として認めていません。
「発見と報告の制度が整い、先天的異常の子供の登録数が増えた」(IAEA報告書)
佐藤医師とラジューク医師はベラルーシ各地で生まれた先天的な病気をもつ
137人の子供とその親の染色体を調べました。
子供に見られる血液の細胞の染色体異常が親にも見つかれば
親にも先天的な病気があり、それが受け継がれたものと考えられます。
染色体に突然変異が起きたと考えられます。
その突然変異の割合を汚染地と他の地域で比べました。
子供の先天的な病気が親の生殖細胞の突然変異で出来た割合は、
汚染の少ない地域では68%、(110人中75人)汚染地域では
89%(27人中24人)に達しました。
調べた親子の数はまだ少なく、さらに調査が必要。
「少ない線量で染色体に異常があって、それが次の世代に伝わって
染色体の疾患、異常じゃなくて異常が伝わって疾患が生じる。
それは十分に考えうることで、長期に渡って観察しないと
結論がだせない」(佐藤医師)
佐藤医師はラジューク博士と、調査で染色体異常が見つかった人との
交流を続けています。
首都ミンスクに暮らすマシコさん一家。
マシコさんの3人の子供と甥と姪、合わせて5人のうち
4人に染色体の異常が見つかっています。
この一家はチェルノブイリから60km離れたナローブリャに
5年間住んでいました。
オリガ・マシコさん(20歳・長女)
生まれて6ヶ月のとき事故が起き、5歳まで汚染地で暮らしました。
このアパートに移った後、血液細胞に染色体の異常が見つかりました。
事故後5日経っても事故のことは知らされませんでした。
ビクトル・マシコさん(父)
「私たちは5年間汚染地帯に暮らしていました。
ですから娘たちの子供、さらにその子供になにか起こるかもしれません。
何も異常がないことを祈るだけです。」
血液細胞の染色体異常は遺伝に直接繋がるわけではありません。
健康にも今のところ問題はありません。
しかし幼い頃5年間も被爆していたことが
オリガさんに重くのしかかっています。
「傍目には元気に見えるかもしれませんが、忘れることができません。
放射能、事故そこからは逃げられないのです。」(オリガさん)
佐藤医師の妻は原爆の被爆者です。
同じ不安を抱えてきた広島の被爆者のことを話すなどして、
オリガさんたちを支えています。
「この家庭も明るく生きていこうという前向きな姿勢は共感できますが、
それだけにその裏には背負ったものがあるだろう。
20年はひとつの節目だが、別な視点で見れば、
これからまたさまざまな問題の始まりになると思っている」(佐藤医師)
2005年9月 IAEA(国際原子力機構)の出した報告書には
会議に参加した各国の専門家や公的機関から異論が相次ぎました。
批判を受けたIAEAは先月「改訂版」を発表しました。
何箇所か修正が加えられています。
癌による正確な死亡者数は推定が不可能とした上で
「リクビダートルの死者を50人」としていた記述を
「(リクビダートルの死者は)現在把握出来ているのは50人」と改めました。
白血病については「増加している証拠は到底無理だ」という表現は削除され、
「調査を継続すべきだ」という一文が加えられた。
遺伝的影響についての記述は変わりなく、
「遺伝的影響はこの程度の線量では起こりえない」とされています。
ウクライナ キエフのリクビダートルの住むアパートでは
今日も癌でなくなった住民の葬儀が行われていました。
ベラルーシ ゴメリの被爆者専門病院。
この3ヶ月で15人が白血病で亡くなりました。
ブラフコさんの容態は悪化し、面会謝絶に。
正常な白血球はほぼ失われ、話も辛い状態のなか、
「家族のために生きたい!」と話す。
人類史上最大の核汚染。
チェルノブイリ原発事故から20年。
事故の幕引きの動きがある中、真実を突き止めようとする医師たちの
治療と研究が続いています。
500万人を超える被爆者になにが起きているのか
明らかにされるのはこれからです。
二次災害等の広がりをTV等で見るにつけ
改めて、大変な地震だったと実感しています。
当ブログより、2つの情報リンクを貼らせていただきます。
NHKニュース ⇒ http://www3.nhk.or.jp/news/
Yahoo!災害情報 ⇒ http://rescue.yahoo.co.jp/
どうか被害が最小限にすみ、なるべく死傷者が少なくてすみますように!
☆参考TV番組・NHKスペシャル 午後9時~9時49分
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~1_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=PHeq8TfSRBM
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~2_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=8hXmoNuJHKs&feature=related
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~3_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=Fgx1mcUgHnA&feature=related
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~4_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=BiFTMaApEpw&feature=related
汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~5_5.avi
http://www.youtube.com/watch?v=ZK7T6BDiB1c&feature=related
チェルノブイリの事故での人体への影響は、短期的に見た場合、
物凄い大人数とはなりませんでした。
でも、長期間被ばくした人達からは、染色体の異常が相当数見つかり、
先天的な病気を持って生まれてくる子どもが増えています。
そして15~20年後、もう原発の事故すらも忘れかけていたその頃に、
白血病や甲状腺をはじめとした癌を急に発症する人が増えている、
という厳しい事実もあります。
が、なるべく因果関係を否定し続けるIAEA・・・。
長期被ばくとして放射線を浴び続けると、こういうことになる可能性が
少なからずあるかもしれない、という現実があります。
*************************************************************
1986年4月26日未明
旧ソ連のウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発。
屋根が吹き飛ばされ、大量の放射能が漏れ出しました。
放射性物質の除去や、原発をコンクリートで覆う作業などに
60万の人々が動員されました。
十分な防護策も施されず、強い放射線を浴びて働いた人々は
「リクビダートル」(後始末をする人)と呼ばれました。
それから20年。
旧ソ連の各地にくらす「リクビダートル」に今癌が多発しています。
放射性物質が飛び散った汚染地帯は原発から600kmにおよび、
500万人がばくしました。
放射線物質は除去されておらず、今も放射線を出し続けています。
長期に渡って被ばくした人からは染色体の異常が相次いで見つかっています。
先天的な病気を持って生まれてくる子供も増えているため、
被ばくとの関係が研究者によって調べられています。
チェルノブイリの惨事から20年。
汚染された大地で今何が起きているか追いました。
................................................
チェルノブイリ原発から南へ120km、ウクライナの首都キエフ。
ここに旧ソ連政府がリクビダートルとその家族約4万人に提供した
アパートがあります。
アパートの前に人だかりができていました。
リクビダートルの男性の葬儀でした。44歳、心臓病で亡くなりました。
このアパートではここ数年、病気で亡くなる人が急増。
移住してきた4万人は2万人までに減っています。
「人が次々に死んで行きます。私の父もリクビダートルでしたが
45歳で亡くなりました。みんな50歳まで持たないんです。」(女性)
最近、リクビダートルに特に多発しているのが「癌」です。
*リディア ツァリョバさん(65歳・女性)
5年前、腸に癌が見つかり手術を受けましたが、未だに食事ができません。
ツァリョバさんはチェルノブイリでトラックの運転手をしていました。
事故後も4年間原発の中で放射能を測定する仕事に携わりました。
しかし、自分がどれだけ被爆したかは知らされませんでした。
「当時はどれくらい危険なのかよくわかりませんでした。
体に異常も感じられなかったし、後になってこんなに酷いことになるなんて
思いもしなかった。
*ビクトル ガイダクさん(65歳・男性)
おととし胃に癌が見つかりました。胃を全部切除し、
一日の大半をベッドの上で過ごしています。
事故のとき、隣接する原子炉の建設作業に携わっていたガイダクさん。
その後も原発内で仲間のリクビダートルの浴びた放射線量を
測定する仕事を9年間続けました。
ガイダクさんは自分の浴びた放射線量を記録した書類を持っていました。
事故が起きた年の放射線量は50レントゲン。
その後、線量は減りましたが9年間放射線を浴び続けました。
放射線の人体への影響は、広島、長崎での原爆被害者12万人の
追跡調査によって明らかにされてきました。
事故の年にガイダクさんが浴びた50レントゲンは、
広島では爆心から1,5kmでの被爆に相当します。
広島では10~20年を経てに癌になる人が増えました。
事故から18年を経て発症したガイダクさんの癌。広島の被爆者と符号します。
酒も飲まず、タバコも吸わず健康に暮らしてきたガイダクさん。
突然の発病でした。
「私は自分の健康を差し出してしまったんです。健康より大切なもの
なんてないのに。取り返しのつかないことをしてしまった。」
ガイダクさんは『国家の危機を救った』と授与された勲章を
大切に持っています。
--事故の後、ソビエト政府の表彰式に参列するリクビダートルの映像--
「チェルノブイリ原発において事故処理にあたった諸君。
勇気をたたえ表彰します」(政府)
リクビダートルには危険な労働の代償として、住まい、高額な年金、
無料の手厚い医療などが生涯保障されました。
しかし事故から5年後、ソビエト連邦が崩壊。
60万人のリクビダートルは分離独立したウクライナ、ロシア、
ベラルーシなどに分かれて暮らすことになりました。
保障されていた特権はそれぞれの政府に引き継がれましたが、
経済の低迷が続く中、年金は大幅に目減りし、
医療費も事実上自己負担を求められています。
「私はリクビダートルとして国のために一生懸命働いてきた。
国が起こした事故のために。それなのにどうして私たちを
見捨てるのでしょうか。」(ガイダクさん)
事故当日。ガイダクさんが住んでいた町を撮影したの映像。
(ところどころ白くピカピカ光る)白く光るのは放射線によって
フィルムが感光した後です。
原発から4km。ガイダクさんの家族や住民は重大な事故が
起きたことは知らされず、避難命令が出るまでの1日半、
大量の放射線を浴び続けました。
今、リクビダートルだけではなく、その家族にも癌が広がっています。
ガイダクさんの妻リディアさんは、ガイダクさんが胃癌に倒れた直後、
子宮癌を発病しました。しかし、まだ手術を受けられずにいます。
ガイダクさんの手術で貯金を使い果たし入院できません。
「なぜ、これほど救いのない状況にならなければいけないのか、
酷い話です。
私は人生を共にした伴侶を救うことも出来ない男になってしまった。」
(ガイダクさん)
広島で本格的に癌が増えたのは原爆から20年経った後のことです。
リクビダートルとその家族の癌はこれからさらに増える可能性があります。
【チェルノブイリ事故被災者の健康状態】
(ウクライナに住むリクビダートル20万人の健康状態を国の研究機関が
追跡調査した結果報告)
癌による死者の調査は事故の6年後から資金不足のために打ち切られる
2000年まで9年間毎年行われました。
リクビダートルの癌による死亡率は事故後年々上昇し、
2000年には一般の人の3倍に達していたことがわかりました。
この調査を行ったウクライナ放射線医科学研究所の所長
ボロディニール・ベベシュコ博士です。
リクビダートルの癌による死亡率はさらに上昇していると考えられます。
「放射線が他の要因と合わさることで健康に悪影響を与えていることは
紛れもない事実です。人々を癌から守ることを最優先に考えなければいけません。
でないと多くの人が亡くなってしまいます。」(ベベシュコ博士)
しかし去年、チェルノブイリの事故と健康被害との因果関係を
限定的にみる報告書が発表されました。
オーストリア、ウィーンに本部を置くIAEA(国際原子力機関)は
世界各国から100人を超える科学者を招集しチェルノブイリ原発事故の被害を
客観的に評価するための会議を開きました。
この席でエルバラダイ事務局長はこう発言しました。
「死亡者が何万人にも上るという誤った情報が事態をさらに悪化させた。
原子力産業への根深い不信をもたらした。」
欧米では事故後大規模な原発反対運動が起こり、
原発の新規の建設が次々と中止に追い込まれました。
原子力の平和利用を推進するIAEAにとって憂慮する事態が続いていたのです。
2005年9月にマスコミや一般に向けて発表された会議の報告書は被害の規模や、
因果関係の認定について厳しい姿勢を打ち出しました。
「事故の死亡者が何万人、何十万人に上るという主張は誇張である。
多くは放射線の影響というより、貧困や医療の不備によるもので酒の飲みすぎ、
たばこの吸いすぎのほうが問題である。
(リクビダートルの死者については)被爆が原因で死亡した可能性があるのは50人」
(IAEA)
この報告書に対して各国の研究者から反論が相次ぎました。
リクビダートルの健康被害を調査したベベシュコ博士もこのIAEAの会議に
参加しましたが、提出した資料は信頼性に疑問があるとして不採用になりました。
「彼らのやり方には不満があります。チェルノブイリによる健康被害が
過小評価されています。私たちの考えを、改めてIAEAにおくるつもり。
その上で訂正してもらいたいと思う。」(ベベシュコ博士)
チェルノブイリ事故では約40種類の放射性物質が大量に大気中に放出され、
風に乗って広い範囲を汚染しました。
大地にまかれた放射性物質はさまざまな形で人体に取り込まれ、
20年後の今新たな健康被害をもたらしていると考えられる。
ベラルーシのブレスト州。
チェルノブイリ原発から400km離れたこの地で
体調の異変を訴える人が急増しています。
武市宣雄医師は、中年女性の甲状腺癌が目立って増えてきたと実感しています。
3日間で診察した52人のうち7人を甲状腺癌と診断しました。
武市さんが現地で診療を始めたのは事故から5年後、
子供に甲状腺の異常が増えていると聞いたからです。
診察してみると、広島・長崎の被爆者ではほとんど見られなかった
小児甲状腺癌が次々と見つかりました。
事故から10年後には小児甲状腺癌は事故前のおよそ100倍に急増。
IAEAも被爆が原因だと認めました。
事故から20年、小児甲状腺癌はほとんど見られなくなりました。
かわって大人の甲状腺がんが急増しているのです。
子供に甲状腺がんを引き起こしたのは原発から放出された「放射性ヨウ素」です。
原発の北にあるベラルーシは風向きの影響で、国土のほとんど全域が汚染されました。
ヨウ素は数ヶ月に渡って放射線を発し200万人が被爆しました。
さらに大地に撒き散らされた放射性ヨウ素は、農作物や牛乳を通して
人の体の中に取り込まれました。体内から被爆することから「内部被爆」と呼ばれます。
子供の甲状腺は成長に必要なホルモンを出すため大量のヨウ素を吸収しようとします。
甲状腺に蓄積された放射性ヨウ素が癌を発症させたと考えられています。
武市さんは吸収した放射性ヨウ素が少なかった大人も被爆から20年経った
今になって次々と癌を発症したと考えています。
*スベトラーナ・ワディコさん
事故の後、毎日畑に出ていたうえ、畑で取れた作物を食べていた。
甲状腺がんと診断されました。
「私には事故の影響はないと思っていた。その後も健康でしたから。
でもそんなことはなかったんですね。私も犠牲者になってしまった。」
IAEAの報告書は大人の被爆による甲状腺がんの増加を認めていません。
増加は検査技術の影響によって発見が増えているのだとしています。
現地に15年通い続けている武市医師は起きている事実を直視すべきだと考えています。
「『大丈夫ですよ』という報告がでるのはある意味では、
そんなに酷いもんじゃないという安心感を与えるためかもしれませんが、
実際に起こっていることが本当に癌の人が汚染の軽い人より
被爆者に多いのだったら、それを出していただきたい。
(患者を)早く見つけて、早く治療してあげれば
その方たちは長生きできるんです。」(武市医師)
チェルノブイリ原発から放出された40種類の放射性物質の中には
今も放射線を出し続けているものがあります。
汚染が続く地域では低い線量でも長期に渡る被爆が
新たな健康被害を起こしている可能性が指摘されています。
チェルノブイリから130km。ベラルーシ南部のゴメリ州に被爆者の専門病院。
[放射線医学人間環境研究センター]
ここで最近白血病の患者が増えています。2年前、白血病患者のベッドを
事故前の2倍の70床に増やしましたが空きのない状態が続いている。
*レオニード・ブラフコさん(36歳・男性)
昨年5月、「急性白血病」と診断されました。
副作用の強い抗がん剤治療を続けています。
事故のとき16歳だったブラフコさんは重大な事故だという情報がなく
毎日屋外でサッカーをしていました。
事故後も同じ町に住み続け、結婚し、子供ももうけました。
去年突然、体に痣のような物がいくつもあらわれ、高熱に襲われました。
「去年までは普通に生活していました。放射線のことは気にしたことが
ありませんでした。なのに突然病気に襲われ、悪くなる一方です。」
大地を汚染し続けるのはチェルノブイリ原発から放出された
放射性物質のひとつ「セシウム」です。
300年にわたって放射線を出し続けます。
大量のセシウムで汚染された地域は立ち入り禁止区域になっています。
しかしそれ以外の地域は居住が制限されていません。
ブラフコさんが住んでいた「カリンコビッチ」(原発から100km)
もその地域でした。
---ゴメリ州 カリンコビッチ。
ブラフコさんはセシウムによる低線量の被爆が続くこの地で
事故後19年間住み続けました。
今も妻のナターシャさんが息子と2人で暮らしています。
国は今もこの町が汚染されていることを認めていますが、
住民には特に説明されていません。
「(夫の白血病発病は)ただ信じられませんでした。
先生に何かの間違いじゃないか、ありえない!と言ったら、
先生はしばらく黙っていて、そして『私にもわからないことが起きている』
と言ったのです。」(ナターシャ)
ブラフコさんは病状が悪化し、無菌室に移されました。
熱は連日39度を超えていました。
これまでブラフコさんのような低い線量での被爆と癌や白血病との
因果関係は認められてきませんでしたが、最近、低線量でも
長い間被爆すると白血病や癌になるという研究が相次いで発表されています。
その一つ、国連の国際癌研究機関の論文です。
【低線量被爆とがんのリスク】
長期に渡って低線量で被爆している15カ国60万人の原発労働者を調査したところ、
癌や白血病で死亡した1~2%が被爆の可能性があると明らかにされた。
論文を発表した国際癌研究機関エリザベス・カーディス博士は
「たとえ発病するリスクが小さくても、数百万人の住民が今も
長期に渡って被爆している実態は見過ごせないと主張。
「チェルノブイリで被爆した人たちは事故後ずっと放射線を浴び、
それは今も続いています。被爆している人の数も膨大です。
低い線量であっても癌や白血病を引き起こす可能性を無視してはいけない。」
(カーディス博士)
しかしこの主張も2005年9月のIAEAの報告書には盛り込まれなかった。
「この程度の被爆で白血病が増加しているという証拠を掴むのは
到底無理だ」(IAEA報告書)
ベラルーシでは今も多くの国民が汚染地で取れた農作物や家畜を
食べ続けています、、、、。
これまでベラルーシ政府は汚染された土や家屋を除去するなど
多いときには国家予算の2割を費やして対策をしてきた。
ルカシェンコ大統領は汚染地の再利用に乗り出しています。
放射能を恐れ、人がすまなくなったゴメリ州の農地に新しい住宅をたて、
人々に帰ってきて農業をすること呼びかけた。
「事故を忘れるのは良い事です。代わりに私たちが覚えておきますから。
政府は国民に恐怖を植え付けすぎたのです。」(ルカシェンコ大統領)
事故から20年。
低い線量による長期被爆の影響が解明されていない中、
ベラルーシ政府の汚染対策が転換し始めています。
20年に及ぶ低線量長期被爆でもうひとつ懸念されていることがあります。
生まれてくる子供への遺伝的影響です。
広島大学名誉教授の佐藤医師は遺伝的影響の調査のため、
ベラルーシを50回以上訪れています。広島(原爆)では
被爆による遺伝的影響は確認されていないが、
広島とは違う長期に渡る被爆の影響を懸念しています。
「広島のデータは非常に参考になるが、決してオールマイティではない。
被爆の型も様相も違うので広島の考えをこちらに持ち込んで
その通りでないという目で見るのは間違いだと思う。」(佐藤医師)
佐藤医師はベラルーシで40年遺伝の研究をしているゲンナジー・
ラジューク医師と共同調査を行ってきました。
2人はこれまで低線量を被爆し続けている住民の染色体を調べてきました。
異常が見つかった血液の細胞染色体で、一部ちぎれたものが
他の染色体にくっついているのがありました。
染色体の異常が精子や卵子の生殖細胞で起きれば、
子供に先天的な病気が現れる可能性があります。
汚染の続くゴメリと汚染のほとんどないミンスクで、
事故後生まれた子供に染色体の異常がどの程度みつかるか、頻度を比べました。
ゴメリの子供で染色体の異常者数はミンスク子供の染色体異常者数の10倍でした。
先天的な病気を持つ子供の数は事故後、およそ2倍に増えたことがわかりました。
IAEAは事故による遺伝への影響を一貫として認めていません。
「発見と報告の制度が整い、先天的異常の子供の登録数が増えた」(IAEA報告書)
佐藤医師とラジューク医師はベラルーシ各地で生まれた先天的な病気をもつ
137人の子供とその親の染色体を調べました。
子供に見られる血液の細胞の染色体異常が親にも見つかれば
親にも先天的な病気があり、それが受け継がれたものと考えられます。
染色体に突然変異が起きたと考えられます。
その突然変異の割合を汚染地と他の地域で比べました。
子供の先天的な病気が親の生殖細胞の突然変異で出来た割合は、
汚染の少ない地域では68%、(110人中75人)汚染地域では
89%(27人中24人)に達しました。
調べた親子の数はまだ少なく、さらに調査が必要。
「少ない線量で染色体に異常があって、それが次の世代に伝わって
染色体の疾患、異常じゃなくて異常が伝わって疾患が生じる。
それは十分に考えうることで、長期に渡って観察しないと
結論がだせない」(佐藤医師)
佐藤医師はラジューク博士と、調査で染色体異常が見つかった人との
交流を続けています。
首都ミンスクに暮らすマシコさん一家。
マシコさんの3人の子供と甥と姪、合わせて5人のうち
4人に染色体の異常が見つかっています。
この一家はチェルノブイリから60km離れたナローブリャに
5年間住んでいました。
オリガ・マシコさん(20歳・長女)
生まれて6ヶ月のとき事故が起き、5歳まで汚染地で暮らしました。
このアパートに移った後、血液細胞に染色体の異常が見つかりました。
事故後5日経っても事故のことは知らされませんでした。
ビクトル・マシコさん(父)
「私たちは5年間汚染地帯に暮らしていました。
ですから娘たちの子供、さらにその子供になにか起こるかもしれません。
何も異常がないことを祈るだけです。」
血液細胞の染色体異常は遺伝に直接繋がるわけではありません。
健康にも今のところ問題はありません。
しかし幼い頃5年間も被爆していたことが
オリガさんに重くのしかかっています。
「傍目には元気に見えるかもしれませんが、忘れることができません。
放射能、事故そこからは逃げられないのです。」(オリガさん)
佐藤医師の妻は原爆の被爆者です。
同じ不安を抱えてきた広島の被爆者のことを話すなどして、
オリガさんたちを支えています。
「この家庭も明るく生きていこうという前向きな姿勢は共感できますが、
それだけにその裏には背負ったものがあるだろう。
20年はひとつの節目だが、別な視点で見れば、
これからまたさまざまな問題の始まりになると思っている」(佐藤医師)
2005年9月 IAEA(国際原子力機構)の出した報告書には
会議に参加した各国の専門家や公的機関から異論が相次ぎました。
批判を受けたIAEAは先月「改訂版」を発表しました。
何箇所か修正が加えられています。
癌による正確な死亡者数は推定が不可能とした上で
「リクビダートルの死者を50人」としていた記述を
「(リクビダートルの死者は)現在把握出来ているのは50人」と改めました。
白血病については「増加している証拠は到底無理だ」という表現は削除され、
「調査を継続すべきだ」という一文が加えられた。
遺伝的影響についての記述は変わりなく、
「遺伝的影響はこの程度の線量では起こりえない」とされています。
ウクライナ キエフのリクビダートルの住むアパートでは
今日も癌でなくなった住民の葬儀が行われていました。
ベラルーシ ゴメリの被爆者専門病院。
この3ヶ月で15人が白血病で亡くなりました。
ブラフコさんの容態は悪化し、面会謝絶に。
正常な白血球はほぼ失われ、話も辛い状態のなか、
「家族のために生きたい!」と話す。
人類史上最大の核汚染。
チェルノブイリ原発事故から20年。
事故の幕引きの動きがある中、真実を突き止めようとする医師たちの
治療と研究が続いています。
500万人を超える被爆者になにが起きているのか
明らかにされるのはこれからです。
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